稲荷山祐信院
城前寺
城前寺 本堂の裏手には
曽我十郎・五郎兄弟、養父曽我太郎祐信
実母満江御前の墓と伝える
四基の五輪塔が立っています
また、境内には、兄の十郎が恋人である
虎御前をしのび、腰を掛け笛を鳴らしたと
いわれる「忍石」があり
これを縁結びの石と呼び、意中の人の名を
書いたこよりをこの石に結ぶと
必ず願いが成就したと伝えられています

寺伝によると、曽我祐信が自身の館の後方に「稲荷山祐信院」を建立したことが城前寺の由来であり、曾我兄弟の仇討ち後に、宇佐美禅師が兄弟の菩提を弔うため祐信院を引き、現在の城前寺の地に庵を結んだといわれております。宇佐美禅師は真名本『曽我物語』(巻十)に確認される人物で、曽我兄弟の仇討ち後に兄弟が没した地である富士野を訪ね葬送し、その遺骨を曽我の里に持ち帰ったと記される人物です。

城前寺の場所は曽我氏館跡伝承地(曽我祐信屋敷跡)の前に位置し、周辺には曽我祐信に関する伝承地が点在します。境内には曽我兄弟に関する遺物等が多く残り、曽我兄弟・曽我太郎祐信・満江御前の墓や「忍石」などが残っております。遺物は城前寺に移された例も多く、曽我兄弟の墓には「お花畑」から発掘された骨壷が移され、忍石は本来一対(姥石・姫石)であった石の一方が移されたものです。

忍石のもう一方は、本来の位置である大山通(中村通)沿いに所在しています。伝曽我十郎・虎御前の「忍石」は、仇討ちを前に十郎祐成と虎御前が逢引した道筋「山彦山の中村道」にあり、2人が腰掛けて別れを惜しんだといわれています。のちに里人は、これを縁結びの石と呼び、意中の人の名を書いたこよりをこの石に結ぶと、必ず願いが成就したと伝えられています。
曽我兄弟の菩提寺
忍石
城前寺は、一一九三年(建久四年)、富士裾野で父の仇工藤祐経を討った
曽我兄弟の菩提寺として歴史あるお寺です
歌舞伎や能の題材として有名であり、特に「忍石」は縁結びの石として名所となっております



日本三大仇討ちの一つ、「曽我物語」
曽我兄弟の仇討ちは、一族の所領争いがもとで、父親を工藤祐経の家来に殺された兄弟が、18年もの間様々な苦難に耐えて仇討ちを果たしたものです。この事件は建久4年5月28日、源頼朝が大規模な巻狩りをおこなった夜に、曽我十郎祐成・五郎時致兄弟が、野営地に設けられていた宿所を襲い、工藤祐経を殺害するという事件が起きました。兄祐成はその場で討ち取られ、弟時致も捕らえられた後、処刑。この事件は「曽我物語」として広く普及し、後世には「曽我物」として歌舞伎や能などの題材として好んで取り上げられる日本三大仇討ちの一つとして知られています。
墓所案内
城前寺には、一般区画や、動物供養塔など、様々なタイプのお墓がございます。
各々、区画・費用や管理方法が異なるため、希望条件に合ったものをご提案できます。
どうぞ、お気軽にお問い合わせください。




新規販売区画がございます
城前寺では、新しい墓地区画の販売を開始しております。永代使用料:10万円~、護寺費:1万5千円(保存会費含む)など、詳細につきましては、お問い合わせフォーム、又はページ下部にある電話番号へお電話を頂ければ、ご案内が可能となっております。皆様からのお問い合わせを、心よりお待ち申し上げております。
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